猫の額

猫が好きな大学生のブログです。

曖昧と嘘が苦手なINTP

話している時に曖昧な言葉を遣われたり嘘を吐かれたりすると、途端に相手が何を言っているのかが分からなくなる。混乱してすごく困ったので、整理してみたい。
まず、混同されると議論にならないので、ここで曖昧と抽象というのは別々の言葉であることは断っておきたい。なぜなら、曖昧というのは全体をぼかされた様子であるのに対し、抽象はある個別具体的な事柄の共通点をあらわしたものだからである。


本題に戻る。曖昧な言葉、つまり一意でなく、意味に幅があるような言葉であり、例えば好きとか嫌いとかはこれに当たる。好きや嫌いについてであるが、こういう単語を用いる時はそれなりに自分なりの定義をつけている。それ自身の定義をし始めると色々なパターンが出てきてしまうので、ここでは好きな食べ物と嫌いな食べ物の話をするとしよう。私はバナナが嫌いで、プリンが好きである。「嫌いな食べ物」は簡単で、それと接している時に不快に感じる食べ物である。美味しいと感じない、匂いを嗅ぐと気分が悪くなる、見た目が気持ち悪い、嫌なことを思い出す、などなど。自分の場合は、バナナは味はそこまで悪くないが、匂いが甘ったるく感じて不快なのと、食感がねっちょり、もったりしているのとでなるべく食べたくない。すなわち、嫌いである。

しかし、「好きな食べ物」となると、難しい。何をもってして好きとするのか、わかりやすい指標がない。必ずしも美味しいから好きであるわけではないからだ。多くの場合「まずいから嫌い」となるのとは非対称的なのが面白い。プリンが「好きな食べ物」である理由は、諸事情で3日間絶食させられた後に一番食べたかったもので、なおかつ2週間毎日1個以上食べ続けていても飽きなかったからである。よって、好きな食べ物は2週間毎日喜んで食べられそうなもの、という自分なりに定義づけをしてある。こんな感じで定義しながら言葉を遣っている。口にする必ず全ての言葉を定義しているというわけではないが、曖昧そうな単語ほどそうする傾向にある。
うまく定義づけられれば遣うのは難しいものではないのだが、うまく定義することが一番難しい。「プリンが好き」と言うときは今でも一度本当に好きか?すなわち好きの定義はそれで本当にいいのか?と考える。

この間、恋人に相手のことを好きかどうか尋ねられた時にもとても困惑した。少年漫画の鈍感な主人公のように「好きだよ、人として」という答えが求められているのではなく、恋人として好きかどうかを聞かれているのはわかった。が、どう答えていいものかがわからない。他人に相手を好きかどうか尋ねられたのが初めてであったし、何をもってして好きと言うのか分からなかったからである。嫌いであれば付き合ったりはしないであろうし、そもそも一緒に出かけたりしない。ただ、人に対して「好き」というのがまだきちんと定義づけられていないのだ。相手から言われるときも、何をもってして好きなのか気になるし、それがわからないので「ふーん、好きなんだー」と思っている。

「好きな食べ物」論理を借用すると、誰とも会っていない状態で一番会いたくて、2週間以上毎日会っても喜んで会える人、ということになりそうだが、流石に2週間以上毎日会っても喜べるかはわからない。前者の定義でも一番最初に頭に浮かぶのは実家の猫なので、微妙、と言うほかない。既存の人間関係の内側であれば一番適するのだが、そもそも相対的に決めるべきことではないと思う。相手から言われるときも、何をもってして好きなのか気になるし、それがわからないので「ふーん、好きなんだー」と思っている。

結局「好きということがどういうことかわかっていないので答えられない」と伝えておいた。文字にするとなかなかパンチがあるが、きちんと答えが出ていないのに解として提示するのは自分にも相手にも益がない気がしてしまう。

そういうわけでふわふわとした定義の定まらない言葉でのやり取りや感情について議論することができないため、こういう風に定義するとああだよね、でもこんな感じで定義するとこうなるよね、みたいな話し方になるか、押し黙ったままになる。友達と話す時は、あらかた言葉の意味の合意があり、曖昧な言葉が遣われないか、だいたい決まった遣われ方をしているので気楽に話せる。恋人と話すときは自分はもっぱら聞き役なのでふんふんと聞いていて、曖昧な言葉が出てきてもすぐに聞くことはせずに、こういう風に遣うのか、こういう意味で扱っているな、と情報を拾っている次第である。

 

基本的に以前話していたことと言っていることが変わっていてもとても混乱する。例えば、以前した話と似たような会話になると話の流れが予想できるのだが、そこに違いが生じている時である。現在の内容が嘘であることもあるし、過去言ったものが嘘であることもあるし、誇張であることもあるし、曖昧な言葉遣いが故であることもある。そういうとき、前はそう言ってなかったじゃん、となり(必ずしも指摘しない)、聞き間違えたか?勘違いか?となる。そのあと、何が違うのか、どこが違うのか、変化したのか、それとも前言っていたことが事実でないのか、と考えて、ひとたび原因が見つかると納得して事実を修正する。INTPは嘘や矛盾を発見するのが得意で〜と言われる所以だと思う。

しかし、実際自分は騙されやすい方だと思うし、盛った話も割とそのまま信じる方だ。ただ、前提知識などがある程度与えられている状態だと無意識にそれを参照しているので、違いに気付きやすいだけだ。自分がこのように人の話を聞いていて、嘘や違いがあるととても気になって話の中身がそっちのけになるので、なるべく嘘は吐かないようにしている。多少失礼でも本音を言おうとするのはそういうところでもある。

これは気分を害すること、すなわち感情面を軽視して、混乱を避けるという実利を取ることの説明になりそう。

 

16personalitiesから2箇所引用するが、この記事のテーマに一番沿っている箇所なのではないだろうか。

“論理学者”型の性格 (INTP-A / INTP-T) | 16Personalities

パターンを好み、発言の矛盾点を指摘することにかけては、ほぼ趣味と言ってもいいほどなので、論理学者型の人に嘘はつかない方が良いでしょう。

さらに、主機能のひとつに論理型特質を持ち、感情的な訴えは一切理解できない傾向があるため、論理学者型の人達に対しては、最低限の情緒的サポートも望めません。根本的な問題の解決方法として、論理的な提案を並べることが非常に多く、道理型の仲間から疎まれることもあります。こうした見方は、ほぼすべての社交的な集まりや目標にまで及び、夕食を計画する際や結婚する時などにも、独創性や効率の良い結果を非常に重視します。

 

以上のことを踏まえると、INTPは曖昧さと嘘との相性がよくないMBTI型なのかもしれない。